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ヨーロッパに学ぶ

 ここは、ドイツにあるコブレンツというところ。コブレンツは、ライン川とフランスから流れるモーゼル川との合流地点があるので知られている。私はライン川沿いに並んだレストランのひとつのオープンテラスで、ホワイトワインと地方料理をつまみつつ、暖かい陽光が気持ちよくて、うとうとしながら景色を楽しんでいた。そこへしばらくすると、60代くらいのスポーツバイク(自転車)に乗った男女10人くらいが店に入ってきた。皆快活そうで、着ているスポーツウエアも、体型なんか関係なくサマになっていて、爽やかだ。同じくオープンテラスに席を取り、ビールや昼食を注文した。せっかくまどろんでいたところに、こんな大人数がおしかけてはこの静寂がうちやぶられそうだと残念に思ったが、ちっともそんなことはなく、大声で話すなんてことはせずに皆「普通に」話していた。注文した料理がなかなかこないが、先にきたビールを飲みながらとても楽しそうだ。私と彼等は全然関係ないけど、お互いのリラックスした時間を壊さない配慮が感じられた出来事だった。配慮と感じたのは私だけで、この国の人たちはこういった考え方が自然と身についているのかもしれない。コブレンツに限らず、今回のドイツの旅、どこへ行っても、どのカフェ、どのレストラン、どのオープンスペースでも時間がゆっくりと流れていた。それぞれの場所の雰囲気を堪能できたのは、同じ空間にいる人々が、他人のくつろいでいる時間を台無しにするようなことをしないからだ。コーヒー一杯でもゆっくりしていられる店の雰囲気がさらに居心地良くしてくれる。席どうしがちょうどよい間隔で離れているのもリラックスできる理由だろうと思う。もちろん、馬鹿騒ぎするような場所だってある。大きなビアレストランなんか、あまりの賑わいに呑み込まれそうになるし、盛り上がったころにはバンド演奏に皆が大合唱するほどだ。今っぽいカフェは席と席が隣とくっつくくらいに近くて、どこかからズンズン響いてくる曲に人々の話し声が混じって賑やかなところもあった。

 場所と人が、それにふさわしい雰囲気を作り出しているような感じ。特別な場所ではなく、全体的にそうなのだ。
 場所と人、と書いたがこの旅では何度となく道行く人に道を聞いた。ある時は通りすがりの人をつかまえ、ある時は店へ入り、ある時は車の中から信号待ちをしている隣の車のドライバーに。カタコトの英語で話しかけると、人々は嫌な顔もせずに大体は英語で答えてくれる。移民らしき人はその母国語で、さらには「自分は英語が話せないから」と、英語が話せる人をわざわざ連れてきてくれた人もいた。こちらが???なんて顔をすると、ジェスチャーや紙に書いて教えてくれる人も。迷惑そうにする人が誰もいなかったのは偶然なのかも知れないが、とにかく、皆優しいのである。こういった事も、多分、ドイツでは普通の事なのだろう。

 穏やかで、優しく、優雅な国民性。そんな印象を強く受け、同時にこういった性質はどのように培われるのかと考えるに至る。ドイツは、ヨーロッパの中心に位置するがゆえに絶えず戦いの歴史があり、栄光とともに悲しい経験を繰り返してきた。そういった過去を忘れることなく語り継ぐことで、愛国心はもとより歴史的建築物や住まいを含む古い街並みを大切にする風土が生まれ、ドイツの国民性として私が受けた先に述べた印象もまた、形作られていったのだろうか。
 そもそも歴史は語り継がれるのであろうが、その歴史を物語る古城、大聖堂、橋、街並み、住居にいたるまで美しいものに囲まれているのだから、必然的に歴史を知る機会や動機が生まれるだろうし、ものを大切にする精神もできあがるのではないか。とある古城を訪ねたところ、アジア人が書いたと思しき(旅の記念か何かに、大勢で書いたようだった。)落書きがかなり広範囲にありとても残念で恥ずかしかった。わざわざ外国まで来て落書きをする神経が信じられないと怒りさえ湧いたのは、人々が大切に守り保存してきた歴史的建築物には現地の人が落書きなどほとんどしていないからだ。建物に対してのとらえ方の違いでこのような差がでるのかも知れないが、あまりにも軽率な行動ではないか。その落書きは、書かれてからずいぶんと経っているようにも見えたがあえて消されていなかった。それはこんな行動をとったどこかの国の国民性を静かに非難しているようにも感じられた。
 今回ドイツを旅して思った事の少しを書いてきたが、旅先で感動したその先には「自分が住んでいる街も、こんな風にもっともっと優雅だったらいいのに。」という思いがある。優雅というのは、リッチというのではなく、もっとべつの事…春は、公園や特設スペースだけでなく歩道や家の窓辺、いろんなところに花がたくさん見られるときれいだろう。大きく美しい川が流れているのなら、それに沿って気の利いたレストランやカフェがもっとあるといい。今見えている景色や、通勤や散歩する道がもっときれいだったり花の香りがふわりと感じられるのであれば、素敵だと思う。美しくしたり、きれいにしようとする気持ちは、自分や自分の周りだけでなく「自分の住んでいる街」を意識したほうがその先の豊かさにつながるのではないか。同時に、ごみをぽい捨てしたり、みんなのものを壊さない心の美しさが大切なのだ。

【2007/05 文・写真 かおる】
【 田舎の街並 】
【 木組みの建物 】


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